日本語講師から
政界へ飛び込んだ熱い想い
私は、3人の子供を育てながら、東北大学で留学生に日本語を教える講師をしていました。そんな中、夫が大動脈解離で急逝し、たくさんの方々から暖かいご支援を賜り、何とか今日まで生活して参りました。そして、子供が独立し、両親も年老いて来た頃に震災があり、両親と同居を始めることになりました。
震災後壊滅的な被害を目の当たりにし、なかなか進まない復興にも思いを募らせている中、父が石巻市長を務めていたこともあり、市長選に出てみないかと薦められました。はじめは戸惑いましたが、幼少期を過ごした石巻への熱い想いもあって、立候補を決めました。残念ながら市長選は落選してしまいましたが、その後も皆様からご支援を賜り、現在は石巻市議をさせていただいております。これからも、皆が楽しく毎日を暮らせる社会を実現すべく、石巻のためになる事に率先して取り組んで参ります。
石巻への想い
私は、石巻で幼少期を過ごしました。その頃の石巻は、漁師の皆さん達が街を札びらきって闊歩していたようなドンドンと元気な石巻でした。時代は変われども、美味しいご飯、風光明媚な土地、そして何よりそこに息づく石巻の人々の力強い魂と伝統文化は、今も変わらずに残っています。石巻にはそうした素晴らしい素材が揃っていることを世界にしっかりとアピールして、全世界からこぞって人が集まるような街にしていきたいと思います。
全国・全世界から多くのありがたい支援を受けながら、石巻市は復興事業を推進してきましたが、震災後10年が経とうとしている現在でも、多くの面で復興事業はいまだ途上にあります。また、震災を機に、社会的一体感の希薄化やコミュニティの崩壊は進行し、孤独死や自殺など、深刻な問題を抱えています。震災によって市民の方々が抱えている深い悲しみと心の傷は、時間が経過しても簡単に治るものではなく、無意識の心の奥底に溜まっています。そうした悲かった事や辛かった事は、簡単に忘れることはできませんが、楽しい事をもっと増やしていき、皆が心豊かな毎日を送れるような場が求められています。芸術や文化、人々の交流を促進し、人々が心を通わせることができる時間や場を企画し、推進します。
また一方で、復興財源終了に伴う地域経済の収縮、With/Afterコロナ時代の新たな生活様式に対応した行政の取り組みは急務です。また、人口減少・少子高齢化などの問題、SDGsを踏まえたこれからの社会的達成目標の実現に向けて、私たちは変わっていかなければなりません。経団連の「。新成長戦略」でも語られたように、「新自由主義」の流れをくむ、わが国を含む主要国での資本主義は、行き詰まりを見せています。これからは、社会に生きる全ての人が、社会との絆を持ち、自分自身が社会において価値のある存在である、という自意識を持てるような社会の実現に向けて、多様な取り組みを展開していきたいと思います。
石巻が本当の意味で震災から復興を遂げ、一日も早くまた元気で豊かな石巻を取り戻すためにも、子供からお年寄りまで全ての人々が輝いて毎日を過ごせる社会の実現、そしてその魅力で全世界から多くの人が集まるような街になるよう、これからも一歩一歩着実にできることに取り組んで参ります。
青木まりえの政策